心のドロドロと向き合う夜

生理前になると、私はどうしようもなく落ち込む。

普段なら笑って流せることが、急に胸の奥をえぐるように痛くなる。

自分の中に押し込めていた感情が、まるで蓋を開けたばかりのインクのように広がっていく。

今日は特に、心がドロドロと渦巻いている。

バカにされる痛みと悔しさ

「副業始めたんだ」

友達にそう話したら、返ってきたのは軽い笑い声だった。

「え、それって詐欺とかじゃないよね?」

冗談めかしたその言葉が、私の心をぐさりと刺した。

茶化されてるのは分かる。でも、悔しい。

私は、本気でやっているのに。

この努力を笑い飛ばされるのは、こんなにも苦しいのか。

「やっぱり無理なんじゃない?」

そんな言葉を言われたわけじゃないのに、そう言われたような気がしてしまう。

友達に「すごいね」と言われたくて始めたわけじゃない。

でも、せめて応援してほしかった。

信じてほしかった。

泣きそうになりながら、必死で自分に言い聞かせる。

「バカにされたからって、私の価値は変わらない」

「結果を出せば、何も言わせなくなる」

そう思いたいのに、心の中の小さな声が囁く。

「でも、本当に成功できるの?」

その声を振り払うように、私はパソコンを開いた。

悔しさを燃料にして、今できることをやるしかない。

幼馴染の結婚が教えてくれたもの

昔からの幼馴染が結婚したらしい。

親たちはずっと「いつか二人が結婚したらいいのにね」と冗談交じりに言っていた。

私たちは一度もそんな関係になったことはないのに。

それなのに、なぜだろう。

彼の結婚を聞いた瞬間、胸がモヤモヤした。

私は今、素敵なパートナーがいる。

彼と一緒にいる時間は温かくて、居心地がいい。

それなのに、どうしてこんな気持ちになるんだろう。

きっと、幼馴染は「ずっとそこにあるもの」だった。

特別意識していなかったけれど、当たり前のように存在していた。

それが、もう別の誰かと家庭を築く。

「もう何もできないんだな」

そんなことを思う自分に驚いた。

別に何かをしたかったわけじゃないのに。

たぶん、私は「変わっていくこと」が怖いのかもしれない。

誰かの人生が新しいステージに進むたびに、私は自分の立ち位置を見つめ直すことになる。

「私は、このままでいいんだろうか」

幼馴染の結婚は、私にそんな問いを突きつけてきた。

焦り続ける私へ

私はずっと焦っている。

「成功しなきゃ」

「自立しなきゃ」

このプレッシャーは、いったいどこから来るのだろう。

きっと、子どもの頃から刷り込まれてきたものなのかもしれない。

「いい学校に行けば、いい会社に入れる」

「いい会社に入れば、安定する」

「安定すれば、幸せになれる」

でも、私は会社を辞めた。

その「安定」の中に、私の幸せは見つからなかった。

だから、自分の力で生きていきたいと思った。

でも、その道は思ったよりずっと不安定で、孤独で、怖かった。

「早く結果を出さなきゃ」

「認められなきゃ」

そんな気持ちばかりが先走る。

でも、本当に大切なのは、焦らずに積み重ねていくことじゃないのか?

焦るたびに、自分に問いかける。

「あなたが本当に欲しいものは何?」

成功?

お金?

承認?

それとも、自由?

心のドロドロも、私の一部

生理前になると、私はいつも自分の中のドロドロした感情と向き合うことになる。

普段なら見ないふりをしている本音が、嫌でも浮かび上がってくる。

悔しい。

寂しい。

不安。

どれも、できれば見たくない感情だ。

でも、それも私なんだ。

誰かにバカにされて悔しくなるのも、

誰かの変化に戸惑うのも、

未来が見えなくて焦るのも、

全部、私が生きている証拠。

だから、今日はこの気持ちと一緒に眠ろう。

このドロドロも、いずれまた流れていく。

きっと、明日はもう少しだけ、軽やかになれるはずだから。

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