いつからだろう。
私が「男を見る目がない」と自覚し始めたのは。
気づけば、恋をするたびに心がすり減っていた。
誰かを好きになるたびに、「なんでまたこのタイプ…」と自分で自分にツッコミを入れていた。
それでも私は、繰り返してしまう。
どうしても、惹かれてしまうのだ。
好きなタイプは、昔から決まっている
私の好きなタイプは、昔から一貫している。
一言でいうなら、カリスマ性のある人。
自分の世界を持っていて、少し人を寄せつけない雰囲気があって、
群れない、媚びない、だけどどこか惹きつけられる。
そう、たとえば——大沢たかおさんみたいな。
あの静けさと深み、少し寂しげな瞳。
一見クールに見えて、実は優しさが滲んでるような。
そんな人に、心ごと持っていかれてしまう。
私が惹かれる人は、どこかで「特別な存在」に見える。
一緒にいると、まるで世界が映画のように思える瞬間があって、
そんな高揚感に、私は酔ってしまうのだ。
「才能」と「思いやり」は反比例?
振り返ってみると、私が好きになった人には、ある共通点がある。
みんな、才能があった。
何かにずば抜けた感覚を持っていたり、人を惹きつける魅力があったり。
その人がそこにいるだけで場の空気が変わるような、そんな人ばかりだった。
でも、その裏で欠けていたものがある。
それは、思いやりだった。
自分のことで精一杯だったり、
こちらの感情を軽く扱ったり、
愛情の表現が極端に少なかったり——
「君は大事だよ」と言いながら、
連絡は一方通行で、いつも私が待つ側だった。
それでも私は、そういう人に惹かれてしまった。
大きな“欠落”を愛してしまう癖
私が選ぶ男性には、決まって何かが欠けている。
それは家庭環境だったり、人間関係だったり、心の中の空洞だったり。
最初はその「影」に気づかないふりをする。
「それでも素敵な人だし、私が理解できればいい」と思う。
だけど、付き合いが深くなるにつれて、その欠落が私にも染み込んでくる。
いつの間にか、私は「与える側」になっている。
寄り添い、支え、傷を癒そうとして——
でも、どれだけ尽くしても、彼らは満たされない。
むしろ、私の存在が「当たり前」になって、
最後には、心のすき間に置き去りにされる。
なんでだろう。
どうして私は、「満たされた人」を好きになれないのだろう?
“穏やかで包み込む人”に惹かれたいのに
わたしだって、わかってる。
恋愛に疲れたとき、「次こそは穏やかで優しい人にしよう」と誓う。
たとえば、日々のささいな出来事を笑って共有できるような人。
感情を言葉にして伝えてくれる人。
不安にさせず、そっと隣にいてくれる人。
そんな人を、頭では「いいな」と思う。
心のどこかでは、安心できる関係を求めている。
でも、現実では、なぜか惹かれない。
優しい人とデートをしても、「好き」が芽生えない。
穏やかで安定した人と話しても、心が踊らない。
私はまだ、「愛される恋」よりも「追いかける恋」に、快感を覚えているのかもしれない。
「ちゃんと愛してくれる人」を選ぶ勇気が、まだ私にはないのかもしれない。
このままじゃ、幸せになれない
最近ふと、不安になる。
このまま、“影”のある人ばかりに惹かれていたら、
私の心はいつまで耐えられるんだろう。
「好き」と「幸せ」は、イコールじゃない。
「ときめき」と「安定」も、イコールじゃない。
それはわかってる。
わかってるのに、選んでしまう。
恋をするとき、私は「心が震える人」ばかり探してしまう。
その震えが、私にとっての“生きている実感”になっていたのかもしれない。
だけど——
誰かを深く愛するためには、自分の心も、穏やかであることが必要だ。
いつも不安に駆られて、疑って、我慢して、傷ついて——
そんな恋の先には、幸せはない。
私に足りなかった「目」と「軸」
もしかしたら、これまでの私は、
「男を見る目」ではなく、「自分を大切にする目」が足りなかったのかもしれない。
私はいつも、
「彼に好かれるかどうか」ばかりを気にしていた。
「私は彼にとって価値があるか」と考えてばかりいた。
でも本当は逆だった。
「私にとって彼は価値がある人か?」
「この恋は、私を幸せにしてくれるか?」
そうやって、自分の幸せのために人を見なければいけなかったんだ。
これからの私へ
次に恋をするときは、「愛される恋」を選ぼう。
私を不安にさせない人を、大切にしよう。
私の小さな気持ちに耳を傾けてくれる人を、信じよう。
カリスマや才能に惹かれる心は、簡単には変わらないかもしれない。
でも、それに負けないくらい、「穏やかな幸せ」にも価値があるってことを、
これからは、ちゃんと信じてみたい。
男を見る目は、経験でしか育たない。
でもその経験も、苦しみばかりじゃなくて、いつか「見る力」になる。
だから私は、もう一度、自分の目と心を信じてみたい。
それがきっと、幸せへの第一歩だから。
コメント